天真体道
天真体道 天正道場 〜武道・瞑想・滝行〜


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新体道〜剣武天真流へ

 新体道の創始者・青木宏之は昭和11年に生まれ、第二次世界大戦という大きなうねりの中、少年時代の一時期をすごし、母、姉、弟を空襲で失うという悲劇を体験しました。しかし、実直な父のもと感性豊かな少年は成長し、その過程でキリスト教と出会います。この宗教/信仰との出会いは、将来の新体道の創始、発展に大きな影響を与えることになります。

 絵を描くことが好きな少年は、やがて演劇と出会います。中央大学に進むと、演劇の体力作りのため空手を始めるのですが、当時の大学空手部は非常に荒れており、暴力沙汰が絶えなかったといいます。そんな空手部に転機が訪れます。幹部を中心とした上級生が暴力沙汰を起こし、退部させられてしまったのです。彼は、上級生のいなくなった空手部の主将となりました。そして、空手の名人、江上茂と出会い大きな変化を迎えます。この江上空手を吸収、実践していくことに大学時代の大部分を捧げることになります。

 大学空手部の顧問となると江上師は、当時大学生たちが行っていた空手にあきれ「君たちの空手はなんて固いんだ」「もっとふにゃふにゃになれ」と言い、「正しい精神統一をすすめることにより、全身の統合された力を使うこと、肩に力の入らない柔らかい自然の動きをすること」を指導してゆきました。

 江上師は、彼の長年に渡る研究の成果を指導によって展開し、またさらに研究を進めました。ところが当時すでに、その過酷な人生の結果として、かなりの肉体的故障を抱えていて、自分で動き検証することができませんでした。 ですから、その思想、方法を弟子たちを通して実現することが、江上師の稽古研究の方法となり、その大きな部分を担ったのが青木師でした。

 そして、師、江上茂から与えられた課題を克服し、実現する、この過程と結果は新体道創始に大きな力となりました。やがて青木師は、江上師の期待に応えるべく行った様々な稽古・研究によって、突出した実力を持つにいたります。そして当時最高段位であった五段を授与され、さらに指導者として奔走します。東奔西走するその間にも青木師の研究は進みました。

 この頃の青木師は武道の極意として伝えられた技・呼吸・形、その他全てを1つにしてしまい、なおかつ指圧・マッサージ・健康法・瞑想法などの研究成果をもその中に含めて、武道のもつ最も大切な条件と効果を満たし、誰にでもできるやさしい型を作ろうと苦心をしていました。そして昭和41年4月、ついに攻防わずか8〜10動作程でなる、新体道大基本のひとつ「天真五相(てんしんごそう)」が誕生します。


 話題は前後するのですが、青木師は更なる研究と実践の場として、楽天会を結成することになります。実はすでに昭和36年ごろから青木師の周りには、松涛会の指導的な立場にある人たちが集まってきていて、一つのグループのようなものができつつありました。それが楽天会の母体となります。楽天会は、30名ほどの武道家によって形づくられた稽古者集団であり、青木師の研究の場でした。楽天会の稽古は空手、柔術、剣術など多岐にわたりました。しかしながら、目的が後継者の育成にあった楽天会は、日々猛稽古を展開するうち、やがてその目的自体を変えていくことになります。

 実は、昭和40年ごろになると青木師は、空手から身を引いて美術の世界へ入っていこうと考えていました。しかしながら、それまでに松涛会の指導から運営までを一手に引き受けていたため、自分の後継者づくりの必要性に迫られることになったのです。

 そこで、各サークルから稽古熱心な人を集めて特訓を施し、自分が辞めた後各サークルを育ててくれるような人を育成しようとして結成されたのが楽天会でした。昭和40年9月のことです。

 青木師の目標は、それまでの厳しい稽古と研究を通して、武道の極意全てを含む純粋結晶のような武道を創り、しかもそれには統一法・瞑想法・健康法・能力開発法・医療法などの要素も包含し、さらには人を愛し、天を愛し、大地を愛するような思想にシッカリと裏づけされたものを求めることとなり、従来の武道とは全く異なる新しい体技を創り上げることになってゆきました。

 青木師は、技そのものの中に、神・真理・愛・平和・自由などの追求と、そういうものへの献身と賛合がはっきりと盛り込まれ、かつ武道的にみれば形そのものが陰陽一体を表し、ゾッとするほど人間性を無視しきった殺人剣であるような技を求めていました。

そうして現在新体道のもうひとつの大基本となっている、「栄光」が激しい稽古の中、昭和41年12月に誕生することとなります。このとき「天相」を最初に行ったのが、第二代会長・岡田満でした。
さらにその稽古の中から、「瞑想組手」が生まれました。瞑想組手は大きく、「わかめ体操(瞑想組手 水・風)」そして「光と戯れる(瞑想組手 光)」に分かれます。


また、次々とくりだされる新たな稽古法からは、意識を解放し魂の浄化を促し、肉体を開発する有効な方法が次々と発見されていきました。それらの一部が「心身開発体操」として現在も制定されています。

 やがて江上師の薦めもあり、青木師は独立を決意することとなります。最初、名称を総合武道連盟として独立、やがて新体道協会と名称を変えますが、社会の注目を集めるまでは今しばらく時間が必要でした。

 やがて、「気」への関心の高まりに応じるように、日仏シンポジウム『科学・技術と精神世界』」(於:筑波大学)が開催され、その時「遠当て」を披露しました。これがいわゆる「気ブーム」のさきがけとなり、新体道の名前が世に出るきっかけとなりました。  先に書いたように、新体道は最初「総合武道」と位置付けられていました。これは、その膨大な体系の中には、空手、柔術、棒術、杖術、剣術、各種健康法、能力開発法、瞑想法等が含まれるためでした。しかしながら、「体」よって人生の哲理を学ぶ「新」しく拓かれた「道」であるとして、「新体道」と名づけられることになりました。

 青木師は、次のことを目指して新体道を創り上げました。

  • ・どんな細部にまでも武道的限定条件(死を直視するという意味で)が満たされている武道。
  • ・母体である大地にしっかりと根ざしている(日本の風土の中から生まれたという意味で)武道。
  • ・芸術の巨匠の作品や世界文学に匹敵するような、全世界の人々に語りかけるだけの力のある武道。
  • ・全世界の人々が相手を認め合い受容し合いながら、協調し合ってゆこうという、広い視野をもった世界人を養成できる明るい武道、そういう思想を育ててくれる武道。

 その結果、創り上げられたのが、「天真五相」「栄光」の2大基本であり、そこに「瞑想組手」を加えると、現在の新体道の稽古体系となります。

 新体道は体技を通して「体を開放し心を解放することにより、本来あったであろう自分自身にかえり、天地人々ワレ一体となって心身ともに健康体となり、世界に愛と平和をもたらすこと」を目指しています。

 新体道は様々な分野に影響を与えました。と同時に、青木師は新たな「滝行」を産み出し、さらに新たな型として「大妙(たいみょう)」を創りました。

 そうして新体道協会の会長を引退すると、新体道で培った能力開発の方法を応用、発展させた新たな書道の場として「天真書法塾」を開きました。  また新たな能力開発、治療の方法を探求する過程でいくつかの大きな出会いがありました。その出会いから始まったフィリピンの未就学児童生徒支援は「天真奨学会」として現在まで続き、その活動は中国、チベットに広がっています。
 そして新体道は、第二代首席師範 岡田満 道守を経て、大井秀樹 首席師範が代表の、「NPO法人・NPO新体道」となりました。

現在は理事長を渡章、首席師範を石井俊充が勤めています。

 書家として活動し、国際的なボランティア活動にも励む青木師でしたが、新体道に関して心残りがありました。
それは、新体道剣術の体系が完成しきっていませんでした。特に組み太刀「剣術九ヶ条」が未整備のままでした。
 しかし、青木師は滝行の最中に「神?」から、「もう稽古は終了である」と告げられます。 
 やがて月日がたち、書家としての活動を中心にしていましたが、

 青木師は新たに居合抜刀を中心とした剣武天真流を創始、指導にあたっています。


当会は新体道(能力開発武道・空手・杖術・棒術)および剣武天真流居合抜刀剣術を稽古しております。
曜日により稽古内容が変わりますのでご注意ください。
入会後、月謝会員を選択すると、剣武天真流の稽古を除き、各クラスに出席自由となります。


 月曜  火曜  水曜  木曜 金曜  土曜  日曜 
 剣武天真流
14:00〜
 瞑想
15:00〜
     わかめ体操
体験会

(月1〜2回)
棒術 
こども基盤体技
17:00〜
こども基盤体技
18:00〜
剣武天真流
17:00〜
こども基盤体技
18:00〜
    剣武天真流
 空手&基盤体技
19:00〜
 身体の学び
19:00〜
わかめ体操
19:00〜
基盤体技
19:00〜 
瞑想専科
19:00〜
(月1〜2回)



※棒術、剣武天真流は時間が変更になることがあります。
※抜刀クラスは入会者にのみ、日時・稽古場所をお知らせします。

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